フランク・ペーター・ツィンマーマン~バッハとわたし

普段は基本的にテレビは見ないのですが、気になった番組を録画して変換してiPhoneに入れておいたりします。そういうのはだいたいかなりたってから気が向いて見たりします。

2009.5.18にBSで放映された「フランク・ペーター・ツィンマーマン~バッハとわたし」もその一つで、つい先日やっと見ました。

彼が「(バッハを弾いていると)他には何もいらない、という気がする」と語ったのは、奇しくもついこの間、私もバッハの話をしていて同じセリフを言ったことを思い出しました。

彼はバッハのヴァイオリンソナタは死別の経験が生んだものではないかと思う、という意味のことも言っていました。私の印象も似たようなものですが、無伴奏ヴァイオリンパルティータなどを聴くと、荒涼とした冬の風景が連想されます。常夏の国では生まれない音楽のような気がします。ライプチッヒはまだ行ったことがないので、どうせなら真冬に行ってそれを確かめてみたい。

ツィンマーマンのヴァイオリンはなかなか素晴らしいと思いました。音がややもすると朴訥な感じがすることがありますが、逆に言うと飾らずに素直に弾いているとも言えるかもしれません。

ヴァイオリンというのは見た目は単純で、ただ弦を弓で擦っているだけですが、演奏は非常に複雑です。

例えば音の大小を変えるのに、私が知っているだけでも次のように3通りのやり方があって、もちろんそれぞれ音色が変わります。それを瞬時に適材適所で使い分けているのです。小さいころからやっている人はなんでもないのでしょうが。

  1. 弓の動かす速さを変える。早くすれば音は大きくなる
  2. 弓を弦に押し当てる強さを変える。強く当てると音は大きくなる。
  3. 弓を弦に当てる位置を変える。ブリッジに近くなると音は大きくなる。

音の大小を変えるのに何通りも方法があるのは、実は管楽器やくちぶえも同じだと思いますが、それらはだいたい口の中の見えないところでやっているのに対し、弦楽器はそれに比べればなにをしているか遙かに分かりやすいと思います。だからといって出来るわけではないかもしれませんが。

エンリーコ・パーチェのピアノも素晴らしいです。彼の言った「(音楽とは)ただの空気振動に過ぎないが・・・」というくだりはなかなか面白い。音楽と騒音を分けているのは何なのか考えさせられます。

音楽の作りは当然チェンバロを想定しているのだと思いますが、想定通りチェンバロで合わせるのがいいのかどうか。もしいまバッハが生きていて演奏するとしたらピアノを選んだような気がします。その場合、楽器に合わせて間違いなくどこか手を入れるのでしょう。

BSの元になった映像のさわりだけあったので、載せておきます。コンプリートはこの辺(リンク)にもあるみたいです。