くちぶえ原体験 ドリフの口笛おじさん

小2の頃、「8時だよ!全員集合」の白い服を来た聖歌隊のコーナーに口笛吹きがゲストで「口笛吹きと犬」を演奏していた。それに合わせて一緒にくちぶえずさんだのことが、覚えている中で最初のくちぶえ体験。

そして音楽大学の卒業演奏会が各地元、私は福岡に帰って行われる。教育科の人はピアノか声楽で出演するのが一般的だが、くちぶえで出演が許された。
その時に福岡の音楽科のある高校で音楽教師をやっている口笛奏者の児玉敬(こだまたかし)さんがいるということで演奏前に実家に来てくれたのです。
もう自分は引退しているのでと音は聴かせてくれなかったけど、レコーディングで参加した「口笛吹きと犬」が入ったシングルレコードを見せてくれた。音は聴いていない。

「ドレミファレコード」リズム感を育てよう
「ママとスキップ」の曲後半に「口笛吹きと犬」を吹いている。シングルレコード

演奏するときの注意を紙に書いたものと、口笛で演奏するといいですよと手書きの楽譜「口笛吹きと犬」(アメリカのトロンボーン奏者であるプライヤー作曲でくちぶえではポピュラーな曲)と、「モッキンバード・ヒル」(50年代後期〜60年代中期に口笛のCDを数枚出している盲目の口笛吹き フレッド・ローリーのレコードにも収録されており、国際口笛大会で常連であるウィスリン・トムも収録)をくれた。
私もCD「くちぶえ天国」で両方収録しました。口笛吹きに愛されている曲だと思います。
そして、昔、ドリフに口笛奏者が出ているのを見たとくちぶえ原体験を話したら、「それは私ですよ」と! ぴゅ〜、あのドリフのおじさんが今ここに!
本番も聴きに来てくれた。

大学卒業後に私はくちぶえ奏者になるために東京に残った。手探りな日々。
28歳になりようやくオリジナルも収録したミニアルバム「くちぶえ」を自主製作したので児玉先生に贈った。一度だけ電話でお話をし、アルバムを作ってから10年間も経っていたことに気付き、東京に住んでるということだったし、日本では古い口笛奏者としてお話を伺いたい、久しぶりにお目にかかりたいと連絡を取った。レコーディングした作品も持ってきてくれて沢山の話をした。16年経って再会したことになる。

大分県出身、日本芸術大学声楽科卒業、もちろん楽譜の初見がきくので、月に4、5本くらいのレコーディングをこなしていたという。
少しが時間あれば練習。基本はやはり腹式呼吸とノンビブラート。合唱をやっていたことも役にたった。音に対しての考え方はストイックさを感じた。
初のレコーディングが1962年「北紀行」シングルレコード

福岡の高校に18年間単身赴任で勤めていた頃に精神的にまいった事があった。それを克服し「俺は俺でいいんだ」と殻を破ることで楽になり、生徒さんなどの対人関係が良くなってそう。今では正直に気取らずに語ってくれるその表情には、繊細さと温かさを感じた。

60歳になった頃に、口笛の音に変化を感じた、今までのような音が出ない。筋肉と密接な口笛にはいつかは訪れること。
役者や歌手など肉体をともなえば、年齢や経験を言葉や音にすることができる。
昔と吹きかたを変えたが、ニュアンスの出る吹き方に気付き、日々、今の自分の良い音を目指して練習しているという。
きっと人生が沢山詰まっているんだろうな。

以下、児玉敬さん参加作品をご紹介します。

「スクリーンズ・イン・シンフォニック・サウンズ」


「GOLDEN STAR IN SCREEN MUSIC Ⅱ」


「歌声はアルプスに」


瀬戸の花嫁「華麗なる口笛ベストヒット20」♪瀬戸の花嫁は、良くNHKで流れていたそうです。


「駅馬車から夕日のガンマンまで」海賊版


あなただけでいい〜旅の宿「華麗なるギター・口笛ベスト・ヒット20」

幸福への招待「華麗なる口笛ベストヒット」

口笛音楽はマイナーながら、人の手と口によって少しずつ築かれています。それを引き継ぎ、発展させ、次世代に引き継いでいくことで確立していくのかもしれません。
分山貴美子〜♪

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